こんにちは。
ブレイブの出川です。
今回は、我がホームタウンの熊谷市に隣接する群馬県太田市に行ったお話になります。
この太田市は自動車メーカーのスバルの本拠地であり、
利根川を挟んで、熊谷市や深谷市などと隣接しています。
自分のいわゆる「おばあちゃん家」という母方の実家が、
熊谷市の中でもやや太田市よりの位置にあったため、群馬県の中でもなじみのある街です。
そして、かれこれ10年ほど前のことなのですが、
今は亡き母方の祖父から聞いた話で、
ふと自分が、
「太田の407号沿いに高山彦九郎最中とかいう看板があるけど、あれ誰なんだろ?」
というと、
祖父は、
「何を言ってんだ!ウチは高山彦九郎の血をひいとる末裔だがな!群馬じゃ有名な偉人だよ。」
!!!!!?????
え!?
これまたどんな展開?
初めて聞いたし、この人誰なんや?
といことで、その日早速ググってみると、
何やら江戸時代の学者で寛政の三奇人(当時の奇人は優れた人という意味です)といわれ、
幕末の尊王攘夷にも影響を与えた人のようで、全国各地を渡り歩き、
多くの文人や学者などと交流があったそうです。
その昔は日本史の教科書にも載っていたとのこと。
しかも、高山神社もあるという。
おお!これはすごい!
こんな人の血を引いているとは。。。
このことは母も知らなかったらしく、
ただ、その昔占い師に、母の先祖には学者がいたはずだという話をされたことがあるらしいです。
な~んてことを、なぜかふと最近思い出したため、
よし!いざ、マイファミリーヒストリーを辿ってみようと、「高山彦九郎記念館」に行ってきました。
車で家から40分くらいのところで、太田市の郊外にあるこじんまりとした記念館でした。
訪れたのは日曜日でしたが、館内は受付の職員2名と、そして自分!と奥さんだけでした。
入り口はこんな感じです。
中に入って正面玄関すぐに銅像がどうぞ。
高山彦九郎の窓外の系譜と当時の時代背景が記載されています。
ただ、残念であったのは、46歳の若さで自害してしまったということ。
今の自分より1つ下の歳でした。
正直、太田でも初めて訪れた地域であり、どう感じ取っていいかわからないですが、
なんか自分のルーツをもっと知りたいなぁと思いました。
※NHKのまさにファミリーヒストリーを観るとそう感じます。
でも、もしかしたら昔から太田には親しみを感じていましたし、訪れる機会も多かったので、
何かひかれる部分があったのかなぁと、ちょっと思いました。
という今回のブログでございました。
それではまた次回のブログでお会いしましょう!
See You Next Time!